真のグローバリズムを目指して〜OMOIYARI の心が世界平和を導く〜
ガラパゴス諸島に到達したジェームス・クックが、無人島にウサギを数羽放した物語がある。天敵のいない島で生きるウサギにとって、そこは楽園だった。そこら中に生えている青々とした草木を我が物顔で食べ尽くし、短期間に急激に繁殖し続けたのだ。しかし、やがて島から草がなくなった。それから数年後、再び島を訪れたクック船長が目にしたものは、枯れ果てた島にただ累々と横たわるウサギの屍ばかりであった。規制も統制も無く動物の本能に任せきった哀れな結末である。
強いものだけが生き残るという、アングロサクソン的な行き過ぎたグローバリズムが蔓延している世界経済への反発なのだろう。アフリカを中心とした各国で暴動やデモが相次いでいる。世界的なデフレによる金融緩和によって生み出された膨大な投機マネーが、米国のサブプライムショックにより、これまで投機の対象としていた土地や株式から、原油や穀物へと向き始め、実体のない市場経済の中で暴徒と化している。丸い形で循環していたはずの地球社会が、資源を持つ国と資金力のある者のみが栄えるピラミット形に変容しつつあり、そこには、飢えに苦しむ人々の悲鳴など届くはずもなく、人類は、過去に経験した過ちを、今また繰り返そうとしている。我が国でも消費者物価指数が8 ヶ月連続で上昇し(2008 年7 月現在)、世界的に見ても総人口の70%が2 ケタ以上のインフレに苦しんでいる。中国やインドなどの新興国の近代化がさらに需要を引き上げている中で、格差はますます拡がるだろう。原油の問題どころか、穀物を中心とした食糧問題ひとつ取り上げても、容易にコンセンサスが得られない状況にあり、このままでは、地球にヒトが住めなくなるのも遠い話ではないような危機感を抱かざるを得ない。アイザック・ニュートンは、「このままでは、2060 年までに人類は必ず滅びるであろう」とメッセージを残した。我々はこれまでの人類の歴史からいったい何を学んでいるのだろうか。
「もしも明日、世界が滅びようとも、私は今日、リンゴの種をまくだろう。」
行き過ぎたグローバリズムを乗り越える理念、それはOMOIYARI の心以外のなにものでもない。我々JAYCEE は、恒久的な世界平和の実現という崇高な理念を掲げて今後も歩んでいく以上、この危機的現状から目を背けることなく、JCI の仲間たちと共に、それぞれの国益を超越したOMOIYARI の心を以て、OMOIYARI 運動を世界へ伝播していかなければならない。OMOIYARI の心とは、利他の精神に代表される日本人が古来から継承してきた道徳観である。OMOIYARI の種の一粒一粒が、世界を真の平和へと導く希望の光であり、すなわち我々が目指すべき真のグローバリズムだと、私は信じる。
さあ、諦めずに、OMOIYARI の種をまいていこう。我々には未来の子どもたちのために、安心して生き続けられる地球を残していく責任と使命があるのだから。
相互理解で構築する近隣諸国との新しい関係
目まぐるしく変化している東アジアにあっては、近隣のアジア諸国との安定した関係を構築することが、我が国の繁栄にとって必要不可欠であろう。とりわけ中国は、近年、資本主義の原理を導入して急速な経済発展を遂げる一方で、環境汚染、国内経済格差、民族紛争をはじめとした困難な問題を抱えている。我が国との間でも、歴史認識や地下資源共同開発の問題など解決が容易でない課題も多く存在する。しかし、中国は、これからの我が国の経済発展や東アジアの安定を考える上で、緊張感を保ちながらも正面から向き合わねばならない隣国である。
さらにこの1年の間に、東アジアを含む主要国の指導者の顔ぶれがおおよそ変わり、中国や韓国を含む各国との関係においても、経済融和を軸に積極的な変化が見てとれる。台湾では単純な独立論よりも中国本土との経済協力関係に重きを置くことを明示し、韓国においても北朝鮮の核開発問題に対して、厳しい措置を求めるなど独自の外交理念に基づく政策を打ち出す傍ら、国連やアジアの安全保障及び経済・社会発展のための協力機構をうまく活用することによって、自国の利益を戦略的に得ようとしているのだ。他方、我が国の外交政策は、国益という観点からすれば無策としか言いようがなく、日米安保を基軸としてアメリカの肩越しか、または国連を通してしか、国際社会の何たるかを認識し得ない感を否めない。
これまでのような、アメリカ追随の外交一本やりでは、国際社会の中で孤立を余儀なくされるだろうし、自国の主体性を保つどころか、結果的に国力の低下は免れないだろう。だから今、我が国が今後も国際社会の中で確固たる地位を確立するために、東アジアの安定こそが、我が国の国益そのものであるという明確な「大義」を定めようじゃないか。そんな頼もしい我が国が、つよい指導力を発揮し、アジア諸国はもとより世界の国々から最も頼りにされる民主国家として、これからをどう生きるかを真剣に考え、アジアのリーダーたらんとする国家として「王道」を力強く歩みはじめることが求められているのだ。
2009 年は、「JCI ASPAC 長野大会」が開催される。民間外交として、個と個の交流、世界と地域の交流を通し、相互理解を育む絶好の機会となるだろう。善光寺のご開帳と重なる時期に開催されるこの大会の意義は極めて大きく、長野JC と協力して必ず成功させなければならない。そして、その翌年に開催されるであろう「JCI 世界会議 大阪大会」にしっかりと繋げていくことはもちろんのこと、2016 年東京オリンピック招致のムーブメントを巻き起こしていきたい。
繁栄とは、争いや憎しみの中で勝ち取るものではない。平和を強く希求し、相互理解を深める努力の先に描かれる成果である。ネガティブな情報が蔓延するこんな時代だからこそ、改めて自らの価値観に自信を持ち、アジア諸国からのつよい期待に応えるべく、エリアBをはじめとする近隣諸国との相互理解を積極的に推し進め、東アジアの安定、ひいては恒久的な世界平和を導く未来志向のポジティブな関係、すなわち、「アドマイヤー型社会」の息吹を吹き込んでいきたい。
国家主権と安全保障を考える
2003 年3 月、在沖米国総領事のもとから、当時のベーカー駐日大使が非公式に沖縄に入り、私との面談を希望しているという連絡を受けた。沖縄地区協議会会長として、それまでのイデオロギー論争を脱却し、国家国民の主権が侵されている実態に目を向けて、日米地位協定改定運動に取り組んでいた私は、絶好の機会だと意気込み、総領事のゲストハウスを訪ねた。笑顔で握手を求められ、テーブルに着いた後に「あなた方のような保守層の若者が、なぜ日米地位協定改定の運動を推進しているのか?」そんな問いかけがあった。私は、「お招きいただき感謝します。私は普段、コーラを飲みハンバーガーを食べる普通の日本の青年です」と切り出し、「私は、アメリカと我が国の今後の友好関係を確かな絆に進化させるためにも同盟国の名に相応しい対等なパートナーシップを育むべきだと感じています。我が国の主権が侵されている実態に鑑みて、この時代に相応しい日米地位協定の改定を求めて活動しています」と胸を張って答えたのだ。するとベーカー氏は「皆さんは、敗戦国ですよね?」と発し、「我が国が考える日米同盟の定義は、アメリカの東アジアにおける戦略的な軍事同盟以上の何ものでもないのですよ」と繋いだ。つまりベーカー氏が伝えたかったのは、戦勝国と敗戦統治をされた国との関係が対等ということはありえず、あくまでも戦勝国の国益に基づいた極東の軍事同盟を我が国と結んでいるということだった。
2007 年、日米両国の日米安全保障協議委員会(2 プラス2)で交わした最終合意で、アメリカのトランスフォーメーションの見直しを含め、弾道ミサイル防衛や国際平和協力活動を始め、二国間の安全保障・防衛協力のあり方を検討する重要性が強調され、日米の連携強化が確認された。沖縄を含む国内に存在する米軍基地の整理縮小という側面は望ましいのだが、座間に司令部を移した米軍主導による自衛隊との相互運用性の向上を再編の柱に据えた流れには疑問を感じた。
また、日本JC も2008 年度より全国で憲法タウンミーティングを数多く開催してきたが、護憲派はもとより、改憲派ですら、9 条を改正し、我が国が集団的自衛権の行使を可能とした場合の自衛隊と米軍の一体化にどう歯止めをかけるかを懸念していることが明らかであった。そして、同盟国であるアメリカの中では、我が国との友好関係よりも中国重視の政治の流れが大勢を占めつつあり、このままでは、国際社会から取り残されてしまうのも遠い話ではなさそうだ。
未だ解決をみない北方領土や尖閣諸島・竹島を含む領土・領海問題を考え、他方、西太平洋における軍事バランス上の脅威ともみなされる勢いの隣国を目の当たりにしている今、我が国は国家の主権をどう担保していくかを本気で考えなければならない時期を迎えたというべきである。我が国の安全保障に対する認識とはまったく別の次元で、国際社会の情勢は大きく変わり始めているのだ。2009 年、全国会員大会が沖縄は那覇の地で開催される意義を十分に理解し、今一度、我が国が主体的に東アジアの安定に貢献でき、国家国民の生命や財産を守ることのできる真の国防のあり方について、真剣に考えてみる契機として位置づけていただきたい。