見たら5年後には自分たちがどうがどうなっているのかイメージできるものが良いのかなと思います。自分自身がそこまで具体的に「共感」という指針を捉えられていたかは分かりませんが、常に寄り添って(稲葉先輩(2015年度理事長))私の時はJCIが100周年ということもあり、「共感」を得るために何が必要なのかを歴史を踏まえて考え、運営テーマを決めました。また、横浜で我々はどういう存在なのか、横浜青年会議所を必要としてもらうために理事長として何をすべきか、『共感』を得るために自分たちがどうあるべ(殿内先輩(2016年度理事長))2016年はちょうど「共感」という運動指針の中間点でした。4人の理事長の先輩方の活動を学ばせていただき、自分が理事長の時に「共感」をどう表現するかを考えました。新年式典の時も4人の理事長の運営テーマを盛り込んだ話をさせていただきました。過去の4年間と「共感」できているかを常に考えて『創発』という運営テーマを考えました。働いている環境や会社は違っても、横浜青年会議所のメンバーの一人ひとりが力をとしての力や、地域に対する影響力について考えさせていただきました。(森先輩(2017年度理事長))毎年の運営テーマは色々なものがありつつ、その根底に流れているものが2010年代は「共感」という概念でした。立70周年を迎えました。そこで、2012年以降の理事長経験者の皆様にお声がけさせていただき、横浜青年会議所の過去10年を振り返る座談会を企画いたしました。として掲げたのは「共感」でした。この「共感」という運動指針の重要性や素晴らしさ、逆にその難しさを感じた体験談などをお聞かせください。決めるその年の運営テーマと併せて、横浜青年会議所の2010年代の活動の基本になりました。私は運動指針である「共感」を森理事長(2017年度)にしっかり教えていただき、それに基づいて2018年の1年間を理事長として運営させていただきました。1年の宝田理事長のときは、東日本大震災が発生した大変な年でした。その中でも横浜青年会議所が10年間「共感」を集める運動を行うことで成果が上がり、次のステップとして(三村理事長(2021年度理事長))この度、一般社団法人横浜青年会議所は創本日は何卒宜しくお願いいたします。横浜青年会議所が2010年代の運動指針(草島特別理事(2018年度理事長))(坂倉直前理事長(2020年度理事長))「共感」という運動指針が始まった201「共感」という運動指針は、理事長が私は、「共感」の運動指針を決めるとき、長期政策会議の中で議論するメンバーの一人でした。「共感」より前の運動指針は、横浜青年会議所内のメンバー向けに言っていると聞こえやすい言葉だったように思います。しかし、「共感」は、横浜青年会議所の外の方たちも含めて、周りとどうやって協調するかということが言葉の意味としては大きいのだろうなと思います。横浜青年会議所設立からの役割も変わってきました。JCI等でも共に創るということで、新しい運動指針の「共創」に繋がりました。こうして2010年代の理事長の皆様方と仲良くさせていただき、横浜青年会議所の縦の繋がりの素晴らしさもこの運動指針に表れていると感じます。(岡部先輩(2012年度理事長))ますが、周りの方が既に社会的意義のある活動をされていて、そういう人達と一緒に何かを作っていこう、外の方々と一緒に何かをしていこうという意識が上がってきています。このような青年会議所の役割の変化は、時代が変わってきているからだと思います。その意味で、60年の節目で「共感」という運動指針を掲げられたのは、とても良いタイミングでした。(高見澤先輩(2013年度理事長))私は、岡部理事長たちが「共感」という運動指針を決定した翌年の理事長でしたので、そこを意識しながら1年の運営テーマを考えました。へ、組織から組織へということと、地域からと思っていました。2011年に震災があり、まだ記憶に新しい2013年でしたので、絆ということや繋げるということも含め、共に感じる、共に繋げる、そのような意識の中で運営をしていた記憶があります。私は、「人から人へ」という言葉の意味が凄く大事だと思っています。とにかく人を大事にし、「共感」を意識して運動をしていました。(齋藤先輩(2014年度理事長))個人的には、運動指針というのは、それをエンパワーメントという言葉が使われ地域へ広がる想いという言葉に繋がるなっているのかとか、このまちや社会いたというのが私の年ですね。きかなども考えました。合わせれば想像以上のものができるのではないか。「共感」を通して、組織2060周年の記念誌にもありますが、人から人60年の中で社会が変わってきて、青年会議所特別座談会
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